2010年 05月 20日
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日本の天部とはかなり様子の違う天が祀られている

自国天 東方と春を司り琵琶を手に持つ
増長天 南方と夏を司り宝剣を手に持つ
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# by jitetabi | 2010-05-20 20:32 | 韓国
2010年 05月 20日
ジテタビ
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自転車で通勤するのをジテツウと呼ぶなら
自転車を持って旅するのを
あるいは自転車で旅するのをジテタビと呼んでもいい

自転車を持って
ちょっと「しまなみ海道」まで
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# by jitetabi | 2010-05-20 19:36 | 自転車
2010年 05月 20日
ノルブリンカ
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ダライラマの離宮ノルブリンカ
宝(ノルブ)の庭(リンカ)という

ここでも熱心に祈る姿があった
五体投地で祈る
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# by jitetabi | 2010-05-20 14:00 | チベット
2010年 05月 20日
ギャンツェ城
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町の中心の丘の上にはギャンツェ城がある。
ここはイギリスとチベットの戦争の舞台となった。
1903年ヤング・ハズバンド率いる軍とチベット軍が戦ったところだ。
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# by jitetabi | 2010-05-20 13:11 | チベット
2010年 05月 20日
ギャンツェの町
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ギャンツェの郊外から町へ入るまで
道の両側は並木があり麦畑がその向こうに広がっている
豊かな土地のようだった
農作業をする人たちが笑顔であいさつしてくれる
前から車が来ると
土埃がずっと続き、前が全然見えなくなる

ギャンツェはラサ、シガツェに次ぐチベット第3番目に大きな町だそうだ。
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# by jitetabi | 2010-05-20 12:59 | チベット
2010年 05月 20日
僧院
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昼下がりのセラ寺
静かな境内
僧が歩いてくる

チベットの乾燥した空気と
真っ青な空
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# by jitetabi | 2010-05-20 12:40 | チベット
2010年 05月 20日
島の風景
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友人たちと漕ぎ出す
人がいない島に上陸

積んできた荷物から
コンロを出し、フライパンを出し
コッフェルを出す

いつもの定番
ギョーザとヤキメシ

珈琲を飲みながら
楽しく過ごす
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# by jitetabi | 2010-05-20 12:26 | カヤック
2010年 05月 20日
仏宝
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通度寺大雄殿に入る
通常は釈迦如来や阿弥陀如来が祀られているそうだが
ここには祀られてはいない
ただ、壁が四角くくり抜かれているのみである

その四角い窓から仏舎利塔が見える
まさに仏宝
仏舎利塔が仏様だ
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# by jitetabi | 2010-05-20 08:49 | 韓国
2010年 05月 20日
通度寺
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韓国のお寺はきれいな渓流沿いに建てられている
渓流に沿って歩いて行くと一柱門が現れる
霊鷲山通度寺である

通度寺(トンドサ)は仏宝の寺といわれる
仏舎利が収められているのだ
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# by jitetabi | 2010-05-20 08:22 | 韓国
2010年 05月 19日
八万大蔵経
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韓国・伽耶山海印寺には高麗大蔵経の版木が収められている
大蔵経版八万枚余りが保管されているという

高麗朝高宗の時代に蒙古軍侵入あって国の安泰を願い
この版木を彫ったという
しかしこれは2度目に作成されたもので
その前に顕宗の時代に彫られたが
蒙古軍に焼き払われたという

すき間から見ると
版木が高床の棚に並べられていた
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# by jitetabi | 2010-05-19 20:31 | 韓国
2010年 05月 19日
境内
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海印寺の境内にて
ご夫婦だろうか
ご主人は端然として立っている
李朝の風景とはこんな風景だったかもしれない
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# by jitetabi | 2010-05-19 19:34 | 韓国
2010年 05月 19日
梵鐘
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鐘をつく僧
深まる秋の日
全山紅葉で彩られ
屋根は鮮やかな丹青が映えていた
海印寺の梵鐘
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# by jitetabi | 2010-05-19 19:23 | 韓国
2010年 05月 19日
法宝
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韓国に三大名刹があるという
仏法僧を表すという
仏宝は通度寺(トンドサ)で、仏舎利があり
法宝は海印寺(ヘインサ)で、八万大蔵経が置かれ
僧宝は松広寺(ソンガンサ)で、修行道場がある

海印寺に行く
一柱門には伽耶山海印寺と書かれている
参拝客が門をめざして進んでいく
渓流に沿って参拝の道が続く
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# by jitetabi | 2010-05-19 19:15 | 韓国
2010年 05月 19日
遠くへ
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遠くへ出かけよう
カメラと自転車を持って
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# by jitetabi | 2010-05-19 16:55 | 鉄道
2010年 05月 19日
港へ
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カヤックで漕ぎだし島へ渡る
静かな海の上を散歩するように
そしてまた帰ってくる
港には定期航路の船が
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# by jitetabi | 2010-05-19 16:34 | カヤック
2010年 05月 19日
セラ寺で僧の問答修行
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セラ寺で僧の問答修行に出会った
セラ寺はかつて河口慧海や多田等観が修行した寺

慧海は漢訳の経典は原典からは
かなり意訳されてしまっているという思いから
原典を求めようとした

原典がまだ残されていると思われる
チベットへ向けて旅立った

当時チベットは鎖国中であった
そのため慧海はインドから北方へ向かい
ドルポ地方を通って西の方からラサを目指す旅をした

後年このドルポ地方は
川喜田二郎が『鳥葬の国』として報告した

慧海はやがてラサにたどりつき
ここで修業をし、ダライラマ13世にも謁見している
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# by jitetabi | 2010-05-19 11:25 | チベット
2010年 05月 19日
デプン寺で
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デプン寺へ行く
入口付近から品のよいおばあさんと娘さんが
一緒にお参りにきている
顔立ちのきれいな人だ

おばあさんは少し足が悪そうで、さっさと歩けないが
ずっと一緒にゆっくりと上っていく

休憩したとっころで、その娘さんに
「お母さんですか」と聞くと
「アマ」と言っって、にっこり笑う

写真を撮らせてくださいと言うと
おばあさんの方へ手をむけて
自分はいいという仕草をしたが
一緒に撮らせてもらった
感じのよい人たちだった

女の子二人にあいさつをすると
やっぱり舌を出してあいさつをしてくれる
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# by jitetabi | 2010-05-19 11:07 | チベット
2010年 05月 18日
チベットの風
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ヤムドォ・ツォ湖の上で休憩
ラサまであと100㎞、2時間

仰向けに寝転んでみる
目をつむっていると日差しはきついが
顔の上を風がすぎてゆく
ここは標高4300メートル
チベットの風が吹く
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# by jitetabi | 2010-05-18 21:50 | チベット
2010年 05月 18日
ポタラ宮
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ポタラ宮にやっと来た
ポタラ宮の中は狭い通路で
中にたくさんのホールがある
歴代ダライラマの塔、玉座、像がそれぞれの部屋にある
13代、14代の玉座とベッドルームがある
13代、14代は本で読んでいたりするので「ああ、これが!」と思う

宝物館に葉っぱにサンスクリットで書かれたお経があった
美しいものだった
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# by jitetabi | 2010-05-18 20:55 | チベット
2010年 05月 18日
燈明
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お寺の中はバター燈明を使っているため
油の匂いと体臭が混じった複雑な匂いがする
マニ車を回すのに取っ手を持つとヌルッとしている

食べるバターと燈明のバターは違うらしい
そういえば参拝に来た人たちは手に袋を持っている
その袋からスプーンですくって燈明の器に入れている

デプン寺から帰りにサイクリスト2人を見かけた
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# by jitetabi | 2010-05-18 20:42 | チベット
2010年 05月 18日
祈り
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チベット、ラサ
ホテルの近くを歩いていると
夫婦だろうか、自転車に二人乗りをして向こうからやってきて
「こんにちわ」と言って通り過ぎて行った

大昭寺(ジョカン寺)へ行く
人びとは五体投地で祈る
もっとも過酷な祈りは
聖山カイラスまで何千キロも五体投地をしながら巡礼するという

寺の周りは八角路(バルコル)といって露店が並んでいる
たくさんの人で賑わっている
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# by jitetabi | 2010-05-18 18:05 | チベット
2010年 05月 17日
参道を歩く
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長い石畳の道が続く
両側は商店が並んでいるが、人影はなく
静かな、しかもゆったりとした時間が流れているようだ

普通なら夕暮れ時だが、ここでは時差の関係で陽がまだ燦燦と輝いている
しかし汗はぜんぜんかかない。チベットは乾燥しているのだ
前から子供の尼僧が二人歩いてきた
一緒に写真を撮る
パンコルチョエデの僧だった

大通りへ出ると参道とは雰囲気の違った明るく飾ったきらびやかな店が並んでいる
道の両側ではビリヤード台がたくさん並んで、ビリヤードに興じている
一人がにやっと笑ったので挨拶をした
少しの間ビリヤードを見る
ルールは同じような感じだ
しかし、皆玉を力いっぱいつくので、玉が飛び上がっている

手を振ってその人たちと別れる
ホテルへの道がわからなくなって途中で尋ねた
チベットの人が挨拶をかわしてくれる
その時、本で呼んだように舌を出す人もいる

ホテルに帰る
子供たちは土のにおいがした

ここはチベット、ギャンツェ
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# by jitetabi | 2010-05-17 18:00 | チベット
2010年 05月 16日
カヤック散歩
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緑が映える季節
穏やかな風に吹かれて
海に漕ぎ出す
静かな水面
パドルで水をかく音がリズミカルに
ここは播磨灘
心地よい風が頬にあたる
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# by jitetabi | 2010-05-16 21:00 | カヤック
2010年 05月 11日
八重山諸島・jitensha旅Ⅴ
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4日目。小浜島に行く。
例によって朝は早い。5:00起床。7:00朝食。
8:05の船で小浜島へ渡る。

朝の雨が止んで青空が広がって来る。
大岳を左に見ながら集落への坂を上る。
途中に、ちゅらさん展望台へ行く道に出る。ダートになっていた。
摂津守殿がダートに入った途端である。石を弾いた。
タイヤが見る見るうちにへこんだ。パンクである。後ろのタイヤだ。
どうやら空気圧が低くてリム打ちをしたようだ。
ブロンプトンの修理は難しそうだったが、車輪をはずさずに修理ができるかどうかやってみた。
タイヤを外してチューブの穴を探す。
なかなか見つからないが、じっくり見ていくと、2つ穴が空いていた。
パッチを貼って無事完了。ブロンプトンも恐れなしだ。これで前進できる。

ちゅらさん展望台に登ると向こうに見えるのは西表島。
晴れた空と海の色がすばらしい。朝から最高の天気になった。
集落を走って、NHK朝のドラマのちゅらさんで使われたこはぐら荘を見て、民俗資料館に行く。
入口が閉まっていて、休みかと思っていたら、ここの館長さんが戻ってきた。
お年をめした女性であったが、しっかりとした口調で、いろいろ説明してもらった。
元教師だったというだけあって、話が上手である。
この地では伝統的なきものが、まだ生きていて、子どもや孫に親が自ら織って着せるという。
お祭りの日にはそれを着るそうだ。帯の模様の意味などを話してくれた。

集落からひたすら坂を下ると細崎漁港に降りる。
快適な下りだが、一瞬上りのことを考える。どんどん下る。
ビーチの色が美しい。ここで一休み。もう目の前は西表島だ。
ここ、小浜島では西表から水を供給されているということだった。

さて、ここから上り。自転車をジグザグに漕ぎながらゆっくり、ゆっくり上って行く。
するとなんとか上れていくのである。
幸いに元の集落まで戻らなくてもリゾートホテル「はいむるぶし」への分岐点があった。
集落からここへ行こうと思っていたのだが、この分岐点から行くことにする。
もう空は真っ青といっていい。
「はいむるぶし」は以前ヤマハが経営していたのを知っていたのだが、今はかわっている。
南群星(はいむるぶし)は八重山地方のことばで南十字星を意味するのだそうだ。

さすがにリゾートホテルである。実にゆったりとした気分にさせてくれる。
こんなところを利用する優雅な旅もまたいいものかなと思う一方、
やっぱり今までどおりの安くて、自分で探して、うろうろとしながらの旅の方に楽しさを思う。
ちょうどお昼になったので、ここで昼食とする。ボリュームのある海鮮焼きそばを食べた。
ここで、先に帰る按針殿、摂津守殿、人麻呂殿と別れる。

残った上総守殿、御典医殿と某は、もう少しゆっくりとしてから帰路につきかけた。
ところが途中でシュガーロードという表示を見つけたので、走ってみようということになった。
御典医殿はこのまま帰るというので、
別れて上総守殿と二人で午後の小浜島をもう少し走って集落へ行ってみた。

港へ行くと3:20の船がある。聞いてみると竹富島経由で石垣島へ戻るという。
これはチャンスである。竹富島で降りて、
竹富島最終の船で石垣島へ帰れば、再びの竹富島へ行ける。これは名案だった。
初日の雨の竹富島と晴天の竹富島を味わえることになった。

もう午後の遅い時間。観光客もほとんど見かけず、静かな竹富島だった。
水牛たちも休んでいる。
18:00の船で石垣島に戻った。夜は3人で洋風居酒屋へ。

最終日は、また雨。
自転車で石垣島を少し走ってみる予定だったが、レンタカーを借りて島一周をすることにした。
一日借りて3,000円。
川平湾、米原、平久保崎などを回ってから帰路についた。(完)

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# by jitetabi | 2010-05-11 10:59 | 八重山諸島
2010年 05月 10日
八重山諸島・jitensha旅Ⅳ
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3日目。6:00に起床。7:00に朝食とする。
ホテルのレストランは7:00からだ。
今日は黒島へ行く予定である。9:30の船なので、市内を走ってみるが、またもや雨。
ホテルで休むことにした。時間を待って黒島行きの船に乗った。

黒島に着くと雨は止んでいる。
雨がやんだ中やっと走ることができるという感じだ。
港から西の浜へダート道を走る。周りは牧場地帯だ。牛が牧草を食べている。
開けた場所に出た。黒島研究所だった。ここはウミガメの生態研究を行っているところだそうだ。NHKの朝のドラマ「ウェルカメ」で撮影ロケが行われた。
建物の中を見学する。ウミガメに標識をつけて海に戻す作業をしている。

隣にビジターセンターがある。そこから三線と歌が聴こえてくる。入ってみると誰もいない。
テーブルの上に、三線が置いてある。しばらくすると職員の人がやってきた。
「今歌を歌っていましたか?」と尋ねると、歌っていたという。
なかなか味のあるすばらしい歌声だった。「ひとつ歌ってみてよ。」と頼むと、一曲歌ってくれた。目の前で三線に合わせた民謡を披露してくれた。
あとで、港で聞いてみると、島一番の名手であるとのことだった。



この頃から日が差してきたと思ったら、だんだんと空が青くなってくる。
浜に出ると太陽と青空とエメラルドグリーンの海。
まさにこれこそが、待ち望んだ風景だった。気持ちのよい浜で、しばし休憩する。

黒島灯台を経て東筋(あがりすじ)集落へ向かう。
お昼の時間をまわっていたので、食堂を探す。
小中学校からダート道を走って「あーちゃん」という店が見つかった。

食べ終わるとまた雨。いったん港へ行って休憩する。
14:00頃雨がまた止んだので伊古桟橋へ行ってみる。
もう使われていない桟橋であるが。自転車で突端まで行ってみた。

16:30の船で石垣島へ戻った。
黒島では寒さを感じたが、石垣島へ戻ると生温かかった。
町の散歩をする。公設市場あたりを歩いて土産物やおいしそうな食材を探して歩く。
夕食は、昨日教えてもらっていた焼き肉店「おときち」へ。
ここでもたらふく飲んで、たらふく食べた。
ここのオーナーも島外の人。若い人だった。

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# by jitetabi | 2010-05-10 11:10 | 八重山諸島
2010年 05月 07日
八重山諸島・jitensha旅Ⅲ


2日目の八重山。朝5:15に目が覚める。天気は悪そうだ。
7:00に朝食に食堂へ行く。すでに全員揃っている。みんな早起き。
7:30にホテルを出る。小雨が降っている。
8:10の船で、西表島をめざす。
港へ行くと船が留っている。係りの人に聞くと、この船じゃなく、大きいほうの船だと言う。
団体が来るので、満席が予想されるので早く自転車を置いて、座ってくれと言う。
なるほど、次々に団体が乗って来る。すぐに満席になった。

西表を自転車で走るか、レンタカーにして、いいとこ取りで走るか、
今回の旅行前から思案しながら、当日になってしまった。
なぜかというと、調べてみるとかなりのアップダウンがありそうだったし、
上総守殿よりの情報では西表を走った人の旅行記には、道が狭くて走りにくいとの情報もあった。
つもりとしては、レンタカーと自転車の併用にするつもりで、ホテルを出たのだった。
しかし幸いに雨。いとも簡単にレンタカーと決める。

港を上がったところにある、オリックスレンタカーに飛び込む。
ステップワゴンを借りることにした。自転車は事務所の片隅に置かせてもらった。
車を走らせるとすぐにアップダウンが連続する。
事前調査では由布島までは坂の覚悟ではあったが、
このアップダウンでは、なかなか先に進めそうにないことがわかった。
雨のせいでレンタカーにしたとの強弁も、今はしぼんでしまっている。
レンタカーにしたのは最善の選択であったのだ。

サキシマスオウノキの群落を見学して由布島に向かう。
由布島は西表島から浅瀬を隔てた向こうにある島。
水牛車に乗ってのんびりとゆられて渡る。案内してくれる女性も島外からの人。
曇ってはいるが雨は止んでいる。

島を散策する。蝶々園があって入ってみる。
オオゴマダラが普通にいる。金色の蛹や孵化直後の姿も見た。うれしくなってくる。
ツマベニチョウ、リュウキュウアサギマダラ、アサギマダラもいるそうだが、
リュウキュウアサギマダラはよく見られるが、ツマベニチョウ、アサギマダラが見つからない。
ツマベニチョウの幼虫だけ発見した。蛇に擬態してしる。
首を上げるとまるで蛇に見える。

島を散策したのち、11:30に由布島を出る。
12:30の浦内川のジャングルクルーズに間に合うように。
12:10頃に浦内川に到着した。
当初マリュウドの滝、カンピレーの滝に行くツアーを考えていたが往復3時間かかるので、
時間がなさそうなので今回は川の往復ツアーにした。
クルーズ船に乗っていると頬にあたる風が心地よい。
まわりは緑一色。静かに川を上ってそして下っていった。

ジャングルクルーズのあとは、八重山ソバの店に入った。眉の濃いマスターだった。
そして西表温泉で、冒頭の事件があったのである。
南風見田浜へ往復走ったのが、本日の唯一の走行。そうそう、ホテルと港往復も。
2キロ弱のポタリングであった。
17:40の船で石垣に帰った。

夜である。八重山料理を食べるべく店を探していたら、
街角に若い女性の営む雑貨店があった。その人に食べるところを尋ねると、
隣の「南風(ぱいかじ)」を紹介してくれた。
この雑貨店は「箱亀」というお店で、やっぱり島外から来たひとだった。

ちなみに南をパイというのは、「本土語の南風(はえ)は沖縄でも「南」の意味に使う。
本土語の古い発音では、こんにちのH音が古くはF音になり、さらに古くはP音になる。
つまりは花はパナである。八重山諸島の言葉はP音の古発音を残していて、
南(ハエ)が南(パイ)になるらしい」と、
司馬遼太郎の『街道をゆく6 沖縄・先島への道』に紹介してある。

南風では、泡盛をたくさん飲んで、よい気持ちで石垣島の食べ物を満喫した。
ところで、波照間に行けば幻の泡波というおいしい泡盛が手に入るということだ。

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# by jitetabi | 2010-05-07 20:10 | 八重山諸島
2010年 05月 06日
八重山諸島・jitensha旅Ⅱ
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さて、いよいよの八重山自転車旅である。
関西組みは神戸から、関東の上総守殿は羽田からそれぞれ石垣島を目指した。
御典医殿、按針殿、摂津守殿、人麻呂殿、六々は6:30、神戸空港に集合。
御典医殿、摂津守殿はすでにゆうパックで自転車を石垣島に送っているので身軽かと思いきや、
両手に荷物。旅道具がいっぱいつまっているのだろう。
あとの3人は自転車を預け荷物として手続きをすませて、全員出発までしばしくつろぐ。

7:30、ANA431便は定刻に飛行機は那覇に向けて飛び立った。
那覇で乗り換えののち12:00に無事石垣空港に着いた。
冬から夏である。ムッとした空気が体をつつむ。

ホテルで準備をしている間に上総守殿も到着した。準備万端。
全員そろって八重山自転車旅の始まりである。

14:45。竹富島に渡る。
石垣島からは10分ほどの船旅である。港について地図を買う。
走り出してすぐに雨粒が落ちてきた。ちょっと先行き不安になる。とにかく雨宿りだ。
竹富島ビジターセンター「ゆがふ館」に入る。
館名は「天からのご加護により豊穣を賜る」という意味の
「ゆがふ=世果報」からとっているという。竹富島の民俗、自然について解説がある。
1月。田植えをする。リュウキュウコスミレが咲く。カンヒザクラが咲く。
波照間歳暮南風(ハティロー シーブ バイ)が吹く。
2月。アーサー採りが盛んな頃。ウグイスが鳴きはじめる。
3月。モズク採りが始まる。デイゴが咲く。ツバメが飛来する。
4月。アカショウビンが飛来する。胡麻の種をまく。島しょうゆの仕込みをする。
5月。梅雨に入る。小満(シューマン)・芒種(ボーシュー)の風が吹く。
サンコウチョウが飛来する。
6月。梅雨が明ける。クマゼミが鳴き始める。夏至南風(カーチバイ)が吹く。
7月。バンジロウ(グァバ)が実をつける。
8月。フクギが実をつける。アダンの実が色づく。
9月。台風が大型化する。タコがリーフ内に移動する。ソテツが実をつける。
10月。サシバが南下する。
11月。ブーゲンビリアの花が目立つ。粟の種をまく。
12月。サンダンカの花が咲く。リュウキュウバショウの繊維をとる。
などと解説してある。なんとなく季節がわかるような気がしてくる。



雨宿りのつもりでゆがふ館に入ったのだが、いよいよ雨は本降りになってきた。
仕方ないので、雨具をつけ意を決して集落へ向かった。
道はでこぼこ、水たまりにつかりながら進む。
集落の中心の「なごみの塔」に着いたころは土砂降りになった。
お店の店先で小雨になるのを待つ。そうこうしているうちに、
小雨になってきたので、自転車を進めることにした。
西桟橋、コンドイ浜、カイジ浜(星砂の浜)、蔵元跡をまわる。
浜からは雨に煙る海を眺めるが、あの晴れた青い海には出会えなかった。

島をまわって集落に戻ってから港へ向かった。港に着くと16:48だった。
18:00の船に乗る予定だったが、17:00の船があったので、急いで乗船した。
しかし、摂津守殿がいない。
あわてて携帯に電話した。ひとりくつろいでいたようだった。
船の出発を待ってもらう。
ようやく自転車に乗ってやってきて、無事乗ることができた。
中にひとり若い客が舌打ちしていたが。

最初の石垣島の夜である。食べるのが楽しみ。
御典医殿がかねてより調査済みの「森の賢者」という店へ行った。
ちなみに森の賢者とはフクロウのこと。
店のマスターも働いている女性も石垣の人ではなく島外からやってきたということである。
みんなよくしゃべりよく飲んだ初日の夜は更けていった。(続)

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# by jitetabi | 2010-05-06 11:04 | 八重山諸島
2010年 05月 02日
八重山諸島・jitensha旅Ⅰ


「俺、着替えのパンツ持ってきてねえや。」
摂津守殿はそう言って受付にパンツが売られているかどうか聞きに行った。
ここは西表島。日本最南端の温泉である。
摂津守殿は今朝ホテルを出るときからじかに海水パンツを穿いて出てきていたのだった。
この西表温泉には内湯のほかに
水着着用で緑が映える東屋風の屋根のある露天風呂に入ることができるのだった。

旅行に出る前準備で、もちろんこのことも承知しており、
全員水着持参であった。
摂津殿のこの小学生が遠足を思いっきり楽しんでいるような行動で、
なんとも言えず、思わずニヤリとしてしまう。
こんな気持ちは大切にしたいものである。

今回の旅は自転車で八重山諸島を走ろうというものだった。
メンバーは6人。
高校時代からの先輩、同輩である。
正式には播磨ポタリング倶楽部の八重山遠征である。
上総守殿、御典医殿、摂津守殿、人麻呂殿、紅一点の按針殿、そして某、六々守である。
みんなアラカン。上総守殿は中学時代からの先輩。
みんな音楽部だった。

播磨ポタリング倶楽部は略称をハリマポッター、
愛称をハリポタという。みんなはハリポタと呼び合っている。

ちょうど3年前の6月ごろだっただろうか。
ことの発端は「ホヤで一杯」だった。
摂津守殿より連絡があって、「仙台から帰ってホヤがあるから一献どお?」との誘いがあった。
呑々守殿と某の3人が摂津守殿屋敷に集合した。

我が仲間たちは、まるで江戸時代のような名前をつけて呼び合っている。
この江戸時代趣味は江戸詰め家老、上総守殿の命名と影響によるものである。
この評定の話題は、某が始めていたブログと自転車談義となった。
まだ呑々守殿、摂津守殿は自転車を持っていなかった。
某はブロンプトンという英国製の折りたたみ自転車に乗っていた。

その席で呑々守殿が「そんなぶさいくな、自転車に乗らんわ。」とおっしゃる。
呑々守殿のご舎弟はトライアスロンの選手で、一級品の自転車に乗っている。
摂津守殿はまだポタリングが何をするのかも知らなくて、一切自転車の興味はなかった。
ただ、ブログの開設について興味津々であった。

それから2~3日あとのことである。呑々守殿から電話があった。
「今日、そっちへ行くから都合大丈夫か?」
「いつでもどうぞ。」ということで、呑々守殿と会った。

呑々守殿が「ところで、自転車何買うたらええ?」という、突然の話。
さっそく小径車のそれぞれの特徴を吟味した。
「何言うても、やっぱりブロンプトンやで。」という某の言を参考に自転車店に足を運び、
後日ブロンプトンを入手した。
先日の「そんなぶさいくな・・・云々」は一切忘れていたのだろう。

その頃江戸表でも、同じような現象がおきていた。上総守殿である。
その頃、すでに空中戦と称して、E・メールを頻繁に交わしており、
逐一、仲間の動静がわかっていた。
しかもメールは御座候の候文である。
おまけに上総守殿のメールは長文である。仕事もできないくらいに長い。
上総守殿も何を買おうか思案中であったので、
やはりブロンプトンをすすめたが、別のライズアンドミューラーのビー・ディー・ワンを入手した。

で、次は御展医殿。
当初は関心が少なかったが、ある日、呑々守殿に電話があったそうだ。
「今自転車屋やねん。もう買うてん。」ダホンのジェットストリームだった。
次いで、とうとう無関心派の摂津守が電話をしてきて、
「今自転車を買いに来ている。何を買えばいいんか教えてくれ。」とおっしゃる。
電話でアドバイスし、ブロンプトンを手に入れた。
人麻呂殿が続いてブロンプトンを買っていった。
最後に播磨守殿。
すでにホームセンターで買っていた自転車があるので、
それで十分だということで新しい自転車は購入しなかった。

みんな自転車が揃ったところで初めてのポタリングに出かけた。
鉄道廃線跡の自転車道である。
前半はなんとか楽しく走って行くが、
播磨守殿の自転車の歯車が極端に小さく、人の3倍ぐらいの回転が必要になる。
だんだんと疲れが出てきて、
「この自転車ではポタリングができん。」ということが分かった。
後日とうとう、ダホンの自転車を手に入れることに。

今度は衣装である。「何買うたらええん。」というのがE・メールの主題となっていった。
ズボンは、靴は、上着は、雨具は、ヘルメットは、ザックは・・・・。
摂津守殿は、とうとう買った衣装を全部身につけて写真をメールに添付してくるようになった。

こうして、自転車ののめりこんでいったのだが、
今や月一度の例会がたのしみになっており、
さらには、紅一点の按針殿もダホン・ミューを購入し男どもに負けず走っている。(続)
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# by jitetabi | 2010-05-02 19:54 | 八重山諸島
2010年 04月 27日
宮古島ポタリング旅
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妻は旅行が嫌いだ。結婚30年。泊りがけの旅行は2、3回。
この度も行くか行かないか、さんざん迷った挙句、
シーズンオフの2月、宮古島へ行くことに決めた。
しかも自転車を持って。
旅行社へ申し込んでから1カ月ほどの間、妻は毎日不安が先立ち、心配していたようだった。

とうとう、3日ほど前には胃痛を感じ、ほとんど寝込むような状態になってしまった。
旅行社にキャンセルを問い合わせると半額程度のキャンセル料が必要とのことだったし、
代わりに友人と行くことを考えたが、これも旅行社から飛行機の変更はできないとの返事。
しかし、さすがは主婦である。「もったいないので、がんばって行く。」と言う。
もし体調が悪ければホテルで寝ていてもいいし、ということで。

当日、早朝から、神戸空港に向かう。午前7時30分発ANA431便沖縄行きに乗った。
今回の旅行は自転車ポタリングである。
宮古島を自転車でのんびり、ゆっくり走ろうというものである。
のんびりする前に体調を崩したら何にもならないのだが。
しかし、飛行機が沖縄に着くころには、妻の体調も、気分もかなり改善されてきた。
いざ、出発してしまうと心配も吹き飛んだのだろう。主婦の本領発揮である。強いのだ。

那覇空港で乗り換えになる。ここではすでに気分爽快状態であった。うきうきしている。
ちょうど昼。宮古空港に到着した。
レンタカーの手続きののち、早速自転車を積んで西平安名崎へ向かう。
少し曇っているが、車を止めて自転車で走ってみる。感じる風が気持ちいい。
ここまでやってきた甲斐があったことを実感する。西平安名崎から池間大橋がよく見える。
長い橋が一直線に延びている。池間大橋を自転車で走ってみる。
車も少なく、下は青い海。快適に走る。沖には一隻の漁船。

橋を渡って池間島を一周する。走っていると、リゾート風の建物があった。
ここで、休憩にする。海を見渡したイタリアンのお店。
高台にあって、テラスで風に吹かれてコーヒーを飲む。なんともぜいたくな心地よい時間を過ごす。妻は、すでにこの旅行を楽しんでいる。
いつもそうだが、旅立ってしまうと元気になって、一番にその雰囲気を楽しむのだ。

さて、今日からの宿へ行くことにして、車で平良市内へ戻って宿を探す。
今回の旅行は最安値のツアーを選択していた。
どんな宿か、それこそちょっと心配しながらたどり着く。
想像していたよりも、まずまずのホテルではあった。まずまずひと安心。
しかし、その日からこのホテルは関西のある大学野球部の合宿場になっていた。
思わず「ええ!!」って叫んでしまった。
フロントの担当者がいたく恐縮している。
仕方なく部屋へ入る。夕方、続々と、むくつけき若者たちが練習から帰ってきた。
大騒動があるに違いないと思った。けれどもそれは杞憂であった。
彼らは礼儀正しく、挨拶も一人ひとりがしてくれる。
同じフロアーに大勢の若者がいたのだが、夜も騒がしくなかった。
指導者もきっちりと指導しているのだと思った。
もちろん、おそらく練習で疲れ果てていたこともあるのだろうとも思う。

翌朝、食堂での朝の挨拶が気持ちがいい。
長い間こんな気持ちのいい挨拶をしたことがない。
お茶碗にごはんをよそってくれたりした。

2日目の朝からは快晴だ。気温も24度か25度。2月のことなのに。
朝、フェリーに乗って隣の島、伊良部島へ向かう。伊良部島を自転車で一周の予定だ。
9時過ぎに伊良部島にフェリーは着いた。走り始める。快適である。
ところが、いきなり坂の上りである。
漕いで上がったものの、妻が息切れ、そして体調がいっぺんに悪くなる。
坂を上ってサバ沖ガー(井戸)のところで休憩するも調子が戻らず、
伊良部島の旅は中止にして、港へ帰る。

船着き場で話をしていた「おばあ」からパンをもらった。
「これ、伊良部のパンだよ。おいしいんだよー。」
「これ食べたら元気になるよ。」
「もっと買っとけばよかったねー。」
白いバタークリームがいっぱいのパン。

やさしさいっぱいだった。
でも、妻は食べられなかった。私がいただく。

宿へ戻って、車に自転車を積んで東平安名崎に向かった。
その頃には妻もまた復活していた。快晴の東平安名崎の頬に当たる風は初夏を思う。
何にもまして気持ちのいい風である。灯台に続く長い道を自転車で走る。
自転車を持ってきてよかったと思う瞬間である。
この気持ちよさを伝えるのが難しい。
「ぜひ、経験してください。」と言いたくなる。

駐車場でサトウキビジュースとしてサトウキビを絞ったジュースを売っている。
コップ1杯200円。汗をかいたあとに冷たいジュースがおいしい。
「はい、これサービス」って妻に、もう1杯。
みんな、やさしいねー。

この日は、近くのスーパーで食料を買いこみ、ホテルの部屋で食事。
これも旅行のひとつの方法だと思った。安くて欲しいものがお腹いっぱいに。

さて、最終日である。夕方の飛行機の時間までもう一度島めぐりをする。
もう一度最初の日に行ったレストランで風に吹かれたり、
きれいなビーチへ下りたり、博物館を見学したりして、早めに空港に行って、土産物をみる。
妻はもう、完全に元気を取り戻している。土産物をあれこれ思案している。何よりである。

不安先行で旅に出て、体調が良くなったり悪くなったりしたが、
心地よい初夏の風に吹かれ、青い透き通った海を見て、自転車を走らせた、妻と二人。
やってきてよかったなと思ったポタリング旅行であった。
私はもう、次のポタリング旅行を夢見ていた。
内緒だけれども。
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# by jitetabi | 2010-04-27 13:32 | 宮古島
2010年 04月 26日
済州島の山で思った
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2008年の年の暮もおしつまったある日、友人から電話が入った。
「済州島へ行かへんか。漢拏山へ登るねんけど。」という連絡であった。
「6人以上やったら安いねん。」という。参加することにした。
以前にも冬の漢拏山登山の計画があったが、計画だけに終わっていた。

年が明けて1月。いよいよ済州島への出発である。
メンバーは何度も一緒に旅をしている仲間である。
ブータンの旅、チベットの旅、そして数々の山々。

ブータンの旅は阪神淡路大震災の1年後だった。憧れつづけたブータン。
空港の町パロから首都ティンプー、そして東の端タシガンへ。
学生の頃からの憧れの国であった。
中尾佐助の『秘境ブータン』はボロボロになるぐらい何度も読んだ。
ブータンの王妃が京都の都ホテルに滞在中であることを
当時京大の学生だった本多勝一が情報をもたらし、やがて王妃に謁見することができた。
うす暗いホテルの階段をゴー(ブータンの男性の服装で日本の丹前によく似ている)姿の、
まさしくブータン人が降りてきて、
そのあとチベット服に身をつつんだ王妃が降りてこられたことが描かれている。
その時の情景を思いながら身震いをしながら夢中で読んだ。
そんな国を仲間と旅した。

チベットの旅も体力のいる旅であった。
ネパールのカトマンドゥを朝暗いうちに出て、中国領内の国境の町ジャンムーへ。
5,000メートルの峠を越えてシガツェ、ギャンツェを経てラサへ。
チベット高原をランドクルーザーで走る。
途中仲間の一人が高山病になるなど、心配事もあったが、無事にたどりついた。
シガツェはチベット第2の町で、スヴェン・ヘディンも100年前にこの地を訪れ、
タシルンポ寺でパンチェン・ラマ(ダライ・ラマに次ぐチベット第2位の高僧)に会ったそうだ。
ギャンツェはラサ、シガツェに次ぐチベット第3番目の大きな町だそうだ。
町の中心の丘の上にはギャンツェ城がある。そこはイギリスとチベットの戦争の舞台となった。

1903年ヤング・ハズバンド率いる軍とチベット軍が戦ったところだ。
チベットといえば、河口慧海だ。
経典の原本を求めてチベット人になりすまし、鎖国中のチベットへ入り、セラ寺で修行した。
若いころからの憧れの国へ仲間と行けたのは実に幸せなことであった。

関空を飛び立った飛行機は約2時間で済州島に到着した。
ホテルの付近の散歩と、ごちそうで、初日は暮れた。

2日目、目的の漢拏山登山である。
朝7時ホテル前に集合。まだ暗い。
朝食にアワビのおかゆと昼ごはんの海苔巻を買って登山口に向かう。
コースは登りはオリモクコース、下りはヨンシルコースだ。
登山口に近づくと道端には雪が積もっていて、登山口の辺りは雪原だ。
たくさんの人が入っているので雪は締まっている。アイゼンをつけて準備する。

韓国では、済州島の人はソウルに行ってみたいと思うし、
ソウルの人は済州島に行ってみたいと思うそうだ。
確かに北のソウルからみると済州島は南国なのだ。
今漢拏山に登っている人たちは、ほとんどが半島から来た人で、ソウルの人が多いようだ。
当たり前であるが、みんな冬装備である。

ドライバーが「では、帰りはここじゃなく、ヨンシルだからね。
予定は14:30。そこで待っていますから。気をつけて。」と言って見送ってくれた。
8:30。登山口を出発。快適に登っていく。
10:15。稜線に出る。
あと2.3キロ。途中、ソウルからだというご夫婦と一緒になる。
家族で登山を楽しむ人がたくさんいる。子供もいる。ちょうど、今冬休みだということだった。
11:30。休憩所に到着。
たくさんの人で賑わっている。
小屋ではインスタントラーメンを売っていて、行列ができている。
頂上へは行けず、登山者はここまで。あとは下るのみである。

さて、仲間たちはというと、だいぶん遅れているようだ。
私とはひとまわりほど年上の人たちである。
ブータンやチベットへ行ったころ、当時の仲間は今の私ほどの年齢のときだった。
10年が経ったのを実感する。
14:30。ヨンシルへ無事下りる。

こうして、楽しく仲間と旅をすることは、やっぱり楽しい。
さて、私が、この年上の仲間たちの年になってまた、漢拏山に登れるだろうか。
いや、登れるようにしておかなくては。
そして、夢は持ち続けたいもの。
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# by jitetabi | 2010-04-26 21:07 | 韓国・済州島