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2012年 08月 21日
辻川界隈~柳田國男の故郷を訪ねて~
柳田國男は1875年(明治8年)
兵庫県神崎郡福崎町に生まれた
当時は神東郡田原村辻川といった
そして1887年(明治20年)長兄の鼎が医者を開業していた
茨城県北相馬郡布川町(現在の茨城県北相馬郡利根町)の家に
身をよせるまで、ここ福崎でそだった

すでに布川、そしてその後うつった千葉県我孫子市布佐における
柳田國男をたずねるポタをしている上総守殿と
辻川界隈をたずねることにした

昼前に福崎について昼餉のあと
辻川をjitenshaでめぐった
残念なことに本日は「もちむぎの館」がお休みで
もちむぎ麺をたべることができなかった

昭和33年1月8日から同年9月14日まで
二百回にわたって神戸新聞に連載されたという
『故郷七十年』には故郷のことを思い出してかいていて
興味ある本である
わたしは『定本柳田國男集・別巻3』をよんだばかりである
この本は口述筆記されたもので
ほかの著作よりもずいぶんよみやすいものだった

柳田國男の著作は
新時代の教育をうけたものにとっては
旧漢字、深い教養、論述が微妙に移ってゆき
なかなか読みづらいものがある
柳田國男の著作はライフワークとして読みおえたいとおもっているのだが

辻川界隈の最初に
旧辻川郵便局跡をたずねた
これは隣接する大庄屋三木家が建てたものである
残念なことに三木家は修理中で全貌をみることはできなかった

柳田國男は幼少期ここにあずけられ
この三木家の蔵書を濫読したのだそうだ
もう一度濫読時代があり布川の小川家の蔵書の濫読があった

「わたしの家の小ささは日本一である」とかき、
兄の不幸も日本の家が悪いこと
家が小さくなったこと
それに前後の影響も考えずに制度を改めたこと
とかいている

この「日本一小さい」という家が移築され
風のよくとおるところにあった

そのあと柳田國男・松岡家顕彰記念館をたずねる
ここで松岡兄弟の資料をみたり
またVTRでNHKでのインタビューを放映していた
82歳当時のものであった
「農村では朝から歌舞音曲というのは悪徳であった。いまや朝から音楽がなる時代となってしまった」
いうのが印象的であった

記念館の裏手には旧郡役所の建物が移築されて資料館となっていた
その奥には小さい頃によくあそんだという
鈴の森神社がある
ここには大きな山桃の木があって
少年の柳田はここへ山桃をとりにいくと
すでにガキ大将たちにとられてしまっていたというエピソードもある
ちなみに先日福崎で催された没後50年の行事には参加できなかったが
柳田の忌日は「山桃忌」といわれる

わたしも山桃がすきで
夏のはじめには摘みにゆく
これをジャムにすると甘すっぱく、おいしいジャムになる
柳田國男もこの山桃を好んでいたというのは
うれしいことだ

地蔵堂や柳田が帰省したときに泊まったという
元「ますや」という宿あとなどを見学して
帰路についた

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今日FM放送を聴いていて
おもいだした歌
「白銀の糸」

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by jitetabi | 2012-08-21 20:41 | 民俗学